お義母さんの思い出

思うこと

お義母さんが亡くなったのは17年前、死因は肝硬変でした。

65歳という若さでこの世を去りました。

お義母さんの具合が悪くなり始めた頃は、すでに私と夫はとても仲が悪く、細い糸がいつ切れてもおかしくない、離婚寸前の状態が2年も続いていた頃でした。

お義母さんの具合が悪くなる一年前には私の父が亡くなりました。

父の余命が幾ばくも無いと主治医から聞かされた時、私は泣いて夫に「病院に行きたいので子供の面倒を見ていて下さい」とお願いしましたが、「仕事だからできない」と顔も見ずに断られ、父の元に思うように行くことができませんでした。

子供がまだ小さかったし、夫からはお金をもらっていなかったので、仕事を辞めることもできなかったのです。

しかし、土下座をしてお願いしても協力はしてくれませんでした。

結局は父の死に目にも会えませんでした。

だから、お義母さんの容態が悪くなっても私は看病をしませんでした。

病院にも実家にも行きませんでした。

夫への当てつけです。

父の看病を思うようにできなかったのは夫が協力してくれなかったから、だから夫も私と同じ様に大変な目にあえばいい・・そう思っていました。

でも今になって思います。

お義母さんには何の罪もなかったんだと・・・

お義母さんはただ、病気と闘って辛い思いをしているだけなのに、そこに私たち夫婦の問題を持ち込むべきではなかったと、とても反省しています。

私は一人の人間として最低なことをしてしまいました。

結婚する前、まだ夫と私が交際していたころ、初めて夫の家に行ったとき、お義父さんもお義母さんもとても喜んで私のことを迎えてくれました。

何にもないけどと言って出された食事は感動するほどおいしかった・・

煮しめや揚げ物など、特別豪華でもない普通の食事だったのに、それには愛情がいっぱい詰まっていて、生まれて初めて食べた愛の味、そのものでした。

田舎のご馳走・・・私が来るからと、心を込めてこしらえてくれたのだと思います。

お義母さんは和菓子を作るのが得意で、おはぎやまんじゅうをよく作って食べさせてくれました。

実家に遊びに行くと、必ず和菓子を作って待っていてくれました。

中学1年で母が蒸発し、それから母の温もりや優しさを感じることができなかった私は、

なおさらお義母さんの純粋な優しさが何より嬉しかったのです。

そんなお義母さんに「本当の親のように甘えていいからね」と言われても、早くに母と別れた私は甘え方がわからず、戸惑い、亡くなるまで心を開くことができなかったように思います。

お義母さんは子ども達のことも心から可愛がってくれました。

そんなお義母さんを子ども達も大好きでした。

我が家へ遊びに来るときは子ども達の好物全てを、よく覚えてるなあと感心するほど一つも忘れずに買ってきてくれました。

いつもニコニコと孫の相手をしてくれる優しいおばあちゃんでした。

しかし夫と仲が悪くなってからは私は実家にも顔を出さなくなり、子ども達と会わせることもほとんど無くなっていきました。

お義母さんも孫に会いたかっただろうし、子ども達も大好きなばあちゃんに会いに行きたかっただろうと思います。

子ども達にもお義母さんにも本当に悪いことをしたと思っています。

お義母さんのことを思い出すと今でも涙が流れます。

後悔と反省・・・

あんなに優しいお義母さんに、私はありがとうの一言も言えずに旅立たせてしまいました・・・

今だったら、年を重ねた今の私だったら、「お義母さん、お義母さん」と心を開いて思いっきり甘えることができただろうに・・・

旅行にも連れて行ってあげたかったし、洋服も買ってあげたかった。

何より子ども達ともっともっと会わせてあげたかった。

お義母さん、本当にごめんなさい。

私はお義母さんから教えてもらったおはぎの作り方、今でも忘れていません。

いつも教えてもらった通りに作るけれど・・・

お義母さんの作ったおはぎの様に上手くは作れません。

お義母さんから作ってもらったおはぎが食べたいです。

心のこもったおはぎがもう一度食べたいです。

私は天国には行けないかもしれないけれど

もしお空で会えたなら

ごめんなさいと・・言いたいです。

そして・・・

禿げ散らかしたあなたの息子のことは

やっぱり今でも嫌いです・・・

ごめんなさい・・・

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